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カースト制度はインド人の心の中に。住んでみて分かった実情をお届け!
ヒンズー教徒が8割以上を占めるインドでは、国民の大半がカースト制度の影響を受けています。法的には70年近く前に撤廃されたカースト制度ですが、インド人の心の中に強く染みついて残っています。ここでは、筆者のカースト制度体験をご紹介します。
この記事に登場する専門家
ライター・翻訳家
Y.M
インドのカースト制度①カースト制度って?
カースト制度はインドに古来から伝わる世襲(代々伝わる)の階級制度です。カーストとはポルトガル語が語源の「血統」という意味です。
カーストには大きく分けて4つの身分が存在します。それは上からバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラです。差異を示す特徴を職業の中味や常識に持たせ、浄・不浄という宗教観に基づいて職業が別けられました。一つづつ見て行きましょう。
バラモン
バラモンは身分制度の中で最高位です。仕事は知識を得ることですが、自分たちに都合が良いように規制を作っていき、多くは政治に関わる仕事に就き、大臣や裁判官になる人が多かったとされています。僧侶や教師はバラモン階級に属します。
クシャトリヤ
クシャトリヤは、王族、貴族、武人に当たる階級の人が多かったようです。このクシャトリヤまでが、上位階級と呼ばれています。現在、この階級の人は裕福な人が多いです。
ヴァイシャ
ヴァイシャは庶民の階級です。もともとは農耕を行う庶民的な階級だったのですが、都市に住んで商人になるヴァイシャが増えたため、それまでのヴァイシャの仕事は、シュードラが請け負うようになっていきました。
シュードラ
一番下の階級、シュードラは、労働者の層と呼ばれ、不浄とされている仕事に就きます。その人の人格や専門性には全然関係なく、体から分泌されるもの(汗など)に接することが不浄とされたのです。
シュードラはカーストの外にいる人とされ、見ること、触れること、近づくことも良くないというアンタッチャブル(不可触民)とされました。
インドのカースト制度②肉体労働が軽視されるインド
インドでは労働に結び付く仕事が軽視されていて、皆、できるだけ労働から遠のこうとします。高カーストの人たちはそうすることで、自分の階級を維持してきました。
「勉強しなかったらガラス工にならなきゃならないよ!」というのが、インドの高カーストの母親が子どもを叱るときにいう言葉のようです。高い教育を受ければ、肉体労働をしなくて済むという考えがインドには根強くあります。
ジャーティーって?
ジャーティとはカースト集団のことで、カーストにそれぞれの職業を細分化したものを指します。その種類は3000もあるといいます。
職業は世襲(親と同じ仕事を子どもが継ぐ)が原則ですが、自分のカーストよりも下の仕事に就くことは許されています。カーストが下の人たちは、誰もが嫌がる手や足、体全体を使わないといけない仕事をしている人がほとんどです。
たとえば、死体・ゴミ処理業、洗濯業、し尿処理業、テイラー、焼き物業(窯業)、廃品回収業、皮革業、染色業、オイルプレス業、漁業、蒸留酒製造業、農業などです。
インドのカースト制度③カースト制度は70年前に撤廃されたもの
1950年に制定されたインド憲法の17条により、不可触民という言葉は差別用語だとして禁じられました。そして、公式にはスケジュールド・カースト(指定カースト)と呼ばれます。同年カースト制度自体も撤廃されました。
低カースト解放運動の指導者、アンベードカルって?
アンベードカル(1891~1956)は低カーストの家に生まれ、子ども時から差別を感じながら育ちました。しかし、猛勉強の末、米・コロンビア大学と英・ロンドン大学の博士号を取得しました。さらに、弁護士資格も持っています。
インドでは1920年代後半から低カースト者に対する差別反対の運動が盛り上がり、アンベードカルはその運動の指導者となります。
40歳の時、アンベードカルはガンジーに向かって「犬や猫のようにあしらわれ、水も飲めないようなところを、どうして祖国だとか、自分の宗教だとかいえるでしょう、自尊心のある不可触民なら、誰一人としてこの国を誇りに思うものはありません」と突き刺さる言葉をぶつけたそうです。
そして1947年のインド独立後は法相となり、憲法起草委員会の委員長としてインド憲法の原案作成に当たったのです。彼が起草したインド憲法は1950年に制定されました。
彼は不可触民差別の根源はヒンズー教にあるとして、1956年に数十万の不可触民とともに仏教に改宗しています。
外国人は低カーストなの?
インドに旅行を計画している方から、時々尋ねられる質問ですが、心配いりません。外国人は、どのカーストにも入りませんし、差別を受けたりはしません。外国人はヒンズー教の考えから逸脱しているとみなされています。
特に先進国からの旅行者や居住者は問題なくインドで生活できます。また最近では低カーストの人でも裕福で子供を私立に通わしている人もいたり、上位カースト出身でも困窮している人もいます。普段は誰がどの階級なのかは分かりません。
インドのカースト制度④生活の中のカースト制度
カースト制度はインド人の日々の生活の中に根強く残り、影響を与えています。名字から出生地域とカーストを予想することができます。私も住んでみてうっすら分かりました。
上のカーストの人は下の人と関わりを持たないようにする人もいますが、私はそれが嫌で、普通に接しようとしていくつかトラブルに巻き込まれました。以下に私が実際に経験したことをあげてみます。
サーバントのこと
ある時、急用があってサーバント(外回りの仕事をしてくれる)にメールを送りました。そのことが、後で大きな問題になってしまったのです。
インド社会の常識では気軽に「低カーストの人に私的なメールなど打ってはいけなかった」わけでしょうが、今でも納得はできません。今どき何を言っているのか、という思いでいます。
お手伝いさんのこと
私がインドに住んでいる時のお手伝いさん(家事一切をしてくれる)は、最上のカースト、バラモン出身の中年女性でした。これからも分かるように、カーストが高いからと言って裕福とは限りません。よく一緒にキッチンに立って、インド料理を教えてもらいました。
ある時、トイレの便器が汚れていたので、掃除してくれるよう言ったところ、彼女は低カーストの人を連れてきて、掃除させました。「便器を触るのは私のカーストではできない」というのです。「自分でやればよかった、、、、」と私は思いましたが、トラブルの元になるので、傍観するしかありませんでした。
マッサージのおばちゃんのこと
アーユルベーダ マッサージが好きだった私は、よくマッサージのおばちゃんに自宅まで来てもらっていました。終わったあとのおしゃべりも楽しかったのですが、彼女はリビングのソファーに座らずに、いつも冷たい床(インドのマンションの床はほとんど大理石です)に座ったままなのです。何度ソファーを勧めてもダメでした。
「今度、旦那のバイクに三人乗りしてサリーを買いに行こう!あなたは上質、私は普通ね」とおばちゃんが言ってくれましたが、約束がそのままになっています。おばちゃん、どうしているかな?いまごろ。
インドの低カーストの人は皆貧しいの?
低カーストの人々は大昔からひどい扱いと生活を余儀なくされていたので、今なお自由もなく、貧困で苦しむ家族がほとんどです。
スラムに住む人たちのほとんどは田舎出身です。都会に出てきて、主に掃除夫、屋台、露店、ゴミ収集、オートリキシャ(インドの3輪タクシー)やリキシャ(自転車)の運転手、メイドなどをしてわずかな収入を得ています。
メイドの月給は3000ルピ(約5000円)です。その日暮らしはできても銀行に口座は持てません。
インドのカースト制度⑤カースト制度に抗って
カーストを超えて生きようとする勇気を持った人もいました。インドの人間国宝、クリパル・シン氏は上位カースト出身ですが、戦後まもなく東京芸大に留学し、のちにインド絵画芸術をけん引するほどの芸術家になり、インド憲法起草にも携わりました。
その後、陶芸にも興味を持ち、「青の芸術家」とも呼ばれるほど素晴らしい作品を多く世に残しました。自らをpotter(陶工)と称したそうです。
先ほど言ったように、焼き物は土が素材で、インドでは不浄とされる手を使う仕事の陶工はカーストが低い人がする仕事です。
ジャイプル在住中、家に招いてくださったのですが、約束した京都の老舗の岩絵の具を手渡せないまま、次に渡印した時は亡くなっておられました。
ニューデリーの国際空港や国立博物館、近代美術館には彼の作品がありますから、探してみてくださいね。彼の社会への挑戦が見て取れます。
インドのカースト制度⑥カースト制度の今後に光
カースト制度が影響を及ぼさない職種はIT産業です。インドには7つの工科大学(IIT)があって、世界レベルのエンジニアや科学者を輩出しています。読み書きができない人が多い(識字率73%)インドの現実を考えると矛盾に思えるでしょう?
最貧困層からインドのトップクラスの大学に行くチャンスを得て、アメリカのシリコンバレーで働いている若者にインド行きの飛行機の中で隣り合わせたことがありました。
クリスマス休暇で帰国する彼は「両親はアメリカナイズされた自分が嫌いだから、家に戻るのが恐い。でも僕の夢は田舎に学校を建てること」と言っていました。
偶然にも、帰りのデリー空港で両親と一緒の彼を見かけました。海外が初めての両親を連れて、これからシンガポールへ行くのだ、笑顔で言っていました。
インドのカースト制度⑦崩れつつあるカースト制度
以上、インドのカースト制度についてご説明しました。お話したように、IT産業がきっかけとなって、今、インド社会が大きく変わろうとしています。
IT産業では結果を出した人がどんどん出世することができるので、アメリカで大活躍しているインド人CEOのことはよく耳にしますね。今、彼らが本国に帰って出身の村に学校を建てたり、奨学金制度を創ったりしています。
さらに、最近ではインドの有名大学出身者が外国ではなく本国で就職し、直接インド社会を変えようとする動きもでています。今後の50年に期待したいと思います。