Categoryウズベキスタン
タシケントの観光で見逃せないものはコレ!日本とつながりが深いものも・・?
今や日本からビザなしで観光できるようになった中央アジアの国、ウズベキスタン。首都のタシケントには第二次大戦後、日本兵が強制労働で造ったすばらしいオペラ・バレエ劇場があるって知ってましたか?ここではタシケント観光の魅力をたっぷりお伝えしますね。
ライター紹介
若い頃から旅が大好きです。55カ国は巡ったでしょうか。今では名所旧跡というよりは、マイナーな国や地域の空気感、暮らしている人の生活感を体感するのが好きです。はまっている国はインド。スラムの子どもたちの支援をしているので、通算30回以上訪問し、長期にも暮らしていました。旅のコンセプトは生活しているように旅をすることです。これからもマイナーな地域の魅力をどんどん発信していきますね。今回は2019年5月に訪れたウズベキスタンの情報をシリーズでお伝えしています。
ビザなしで行けるウズベキスタンの首都、タシケント
嬉しいことに、2018年2月からウズベキスタン国内到着後から30日間に限り、日本人はビザ免除で滞在できることになりました!行ってみたい!という読者もきっと多いでしょう。暑い国ですから真夏の旅行は厳しいかもしれませんが、5月末、ウズベキスタンではあちこちでバラが咲いていました。ウズベキスタンは深紅のバラが実によく似合う国です。
このバラの勢いと主張は、伸びつつあるウズベキスタンを象徴しているかのようですね。ウズベキスタンは人口統計的に見るとピラミッド型で、35歳以下が65%と非常に多い国なのです。
1966年の大地震で壊滅的被害を受けたタシケントの街に咲く桜です。日本から送られたものです。旧ソ連の懸命な努力でタシケントは再建され、今では緑濃い素晴らしい都市に生まれ変わっています。ここではタシケントの魅力をたっぷりお伝えしていきましょう。
高速列車アフロショブ号で鉄道の旅
タシケントの駅舎です。とても立派な駅で回りも公園のようにきれいでした。駅の中は撮影禁止でお見せできませんが、広々としていてゆったりと列車を待つことができました。
サマルカンド―タシケント間を高速列車アフロショブ号が2時間10分で結んでいます。料金は2等車で片道120000スム(2000円)です。1等車は倍の運賃がかかります。全席指定で、日本の新幹線とまではいかないまでも、とても快適な列車の旅ができます。
子ども連れの地元の人も多く乗っていて、ほぼ満席でしたよ。途中で有料のコーヒー販売や無料のスナックが配られました。車掌さんがとても綺麗で見とれてしまって、思わずシャッターを押していました。車掌さんは男性も女性も美男美女で、この職業はウズベキスタンの若者のあこがれなのかな?と思いました。
①ウズベキスタン工芸博物館
この建物は1907年にロシア公使の私邸として建てられました。1930年までは孤児院や教育センターとして使われていたということです。そして、1937年、ウズベキスタン工芸博物館としてオープンしました。現在4000点以上の展覧品があり、博物館の建物自体が大変美しく、まさに工芸品です。ウズベキスタン各地の職人を集めて造られただけあって、思わず「ワァー」と驚嘆の声を発してしまうほどでした。
Unofficial site Museum of applied art of Uzbekistan - Museum
ウズベキスタン工芸博物館 入場料・6000スム(100円)
www.artmuseum.uz
②ナヴォイ劇場
ナヴォイ劇場はオペラとバレエのための劇場で、正式名はアリシェル・ナヴォイ記念国立アカデミー大劇場といいます。収容観客数は1400人、舞台の広さは540平方メートルあります。
設計はロシア人建築家、アレクセイ・シュチューセフ。1939年に着工し、1947年11月までに完成の予定をして建築を進めていましたが、第二次世界大戦が始まったため、土台と一部の壁、柱などだけができた状態で工事が止まっていたのです。
大戦後、日本人捕虜のうち、建築に詳しい457人の日本兵が強制的にウズベキスタンに派遣されました。仕事の内容は、土木作業から大工仕事、電気工事にいたり、作業中亡くなったのは、二人だけでした。今、彼らはタシケント抑留日本人墓地に他の日本人と共に埋葬されています。
1966年にタシケントを襲った大地震で、タシケントの多くの建物が崩れたのですが、ナヴォイ劇場はびくともしなかったと言います。日本の技術の高さ、精巧さを今更のように異国で知り、誇らしい気持ちになりました。強制労働と言ってもウズベキスタン人との交流もあったりしたようで、ほっとした気持ちにもなりました。
石碑はウズベキスタン独立後の初代大統領、カリモフ大統領によるものです。写真に見られるように、日本語でも記載されています。"参加、貢献”という表現は「ウズベキスタンが日本人捕虜に強制労働をさせたと思われたくない」という大統領の考えからだそうです。日本人捕虜の貢献は、ウズベキスタンの教科書でも触れられていて、ウズベキスタン人に親日家が多いのはこのような背景があるのかもしれませんね。
State Academic Bolshoi Theatre named after Alisher Navoi
Welcome to the State Academic Bolshoi Theatre of Uzbekistan named after Alisher Navoi
gabt.uz
③日本人墓地に抑留者が眠る
1992年、ウズベキスタンの独立時、ウズベキスタンに眠る日本人の魂を日本に帰したいという申し入れを日本政府がしたのですが、ウズベキスタン政府はこちらで手厚く葬りたいと、申し出を断ったと聞きます。確かに墓地では大切に供養されていました。墓守の方がおられて、線香をくださったのでお参りさせてもらいました。
④バザールで見つけた面白いもの
手前にある四角い板はネズミ捕りです。素朴でなつかしいですね。その向こう側にあるものは、何でしょうか?下の写真のゆりかごと一緒に使う道具です。
ウズベキスタンのゆりかご、穴は何のため?
ゆりかごの中に穴が開いているでしょう?何のため?と思われた方も多いでしょう。ウズベキスタンではおむつを使わないで赤ちゃんを育てるそうで、上の道具には女の子用と男の子用があります。使い方は各自、想像力を働かせてくださいね。
ウズベキスタンの絹の絣布アトラス
素敵な柄のクッションでしょう?これは伝統的なウズベキスタンの絹の絣布アトラスで、どことなく日本の着物の柄に通じるところがありますね。ウズベキスタンの絣は、ツヤツヤした絹感、色の鮮やかさ、大胆な模様が特徴です。
残念ながら、ネズミ捕り、ゆりかご、道具、クッションの値段はわかりません。ごめんなさい。
絹は5世紀にウズベキスタンに伝わり、7世紀頃に中国やインドから絣の技術が伝わりました。ウズベク語では絣のことをアブルバンディといい、雲の意味だそうです。織職人が水面に映った雲の美しさを絣布に表現したのが始まりとか。
ソ連時代のマンションは芸術的?
上の写真はソ連時代に建てられたマンションです。可愛いですね。開発が進むにつれ、このような建物も少しずつ消えていくのでしょうか?残したい文化の一つだと思います。
タシケントの治安-安全です!
タシケントの街は緑が多く散歩には最適の街です。特に大学の周辺は高く大きく育った街路樹(ポプラかな)が緑陰を作り、大学生が行き来していい雰囲気です。ホームレスの姿は見かけませんでした。治安は悪くありませんが、バザールや駅、空港などではスリなどに注意しましょう。
整然とした街並みのタシケントは地震後、再建された首都
以上、整然とした街並みのタシケントの観光情報をお伝えしてきました。タシケントの街は1966年の大地震で壊滅的な被害を受けたにもかかわらず、今では素晴らしい国際都市に生まれ変わっています。私たち日本人にはどこか懐かしい国ウズベキスタンの首都、タシケントです。是非ご自分の目で確かめてみてくださいね。
タシケントは首都にありがちな混雑や喧騒とは無縁でした。これからも変わらず清潔で落ち着いた都市であり続けて欲しいものです。最後にタシケントを旅行する時の注意点をあげておきましょう。
ウズベキスタンの情報を見る
荘厳で美しいサマルカンドはシルクロードの要衝!文明の十字路!その歴史と魅力をご紹介!!
シルクロードの国ウズベキスタン!おすすめの観光スポット10選を紹介!
中央アジアおすすめ観光スポット厳選9選まとめ!旅行者を魅了する国々を繋ぐシルクロード!@サマルカンド
ウズベキスタンは治安は良いが危険な面も!トラブルを避けるコツを伝えます!
ウズベキスタンのおいしい料理は意外とヘルシー!おすすめレストランもお届け!
タシケント観光旅行中の注意点
強い紫外線にご注意!
春先から夏にかけて強い紫外線が降り注ぎます。現地の女性も上の写真のように日傘をさして歩いています。気温も7月初め~8月半ばは酷暑期「チッラ」で、西部では45℃にもなる日があります。熱中症対策も忘れずに!水は炭酸ガスが入ったものと、入っていないもの、2種類ありますよ。
安全な海外旅行をするために
どこの国であろうと、海外を旅する時は道端でおどおどしたり、自信無げな足取りで歩くのは止めましょう。肌が露出しているような服も危険です。筆者は海外に出ると日本に居る時よりも少しだけ性格が強くなります。言うべきことははっきり言葉にする、態度も毅然とする、を鉄則にしています。