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京都ファン中級者向け『京都の寺』特集!ワンステップ上の京都めぐりを大公開!
京都旅行で神社仏閣巡りの定番コースといえば、清水寺や金閣寺・銀閣寺、伏見稲荷神社などが有名です。またそれらの周辺のお寺も大変高い人気があります。でも、その定番コースの次にどこを回ればよいのか迷っている方も多いでしょう。今回は京都ファン中級者向けのお寺をご紹介します。
この記事に登場する専門家
京都在住ライター
熊谷直也
京都の人気のお寺は・・・?
こんにちは! 京都在住ライターの熊谷直也です。
さて、皆さんが京都の清水寺や金閣寺・銀閣寺、伏見稲荷神社といった超有名なスポットを一通り回られた後、「さて、次はどこに行こうか」と迷われることがあるかと思います。今回はそうした初めての京都、「神社仏閣デビュー」を終えられた方の次のステップとして、中級者向けの寺院をご紹介して参ります。
超人気のお寺巡りのその次は・・・?
京都には、定番コースに比べアクセスはやや難しいですが、是非訪ねておきたいお寺が沢山あります。皆さんもお寺の名は聴いたことがあってもまだ行かれていないお寺があると思います。言わば、難易度がワンステップ上の中級者向けのスポットです。こうしたお寺は周囲の環境も風光明媚で、観光の方々の数も比較的少ないなど、ゆったりと楽しめるスポットなのです。
「素顔の京都」が見られる中級者マストのお寺
今回ご紹介するのは、京都ファン中級者の方にはマストのお寺です。観光寺として有名なお寺だけでは見えなかった「京都の素顔」「本質的な京都の美」が、そこにはあるかもしれません。
では、それらは一体どんなお寺なのか早速見て参りましょう。
◆『京都の寺』おすすめ15選!~北・東エリア編
京都の北部・東部にあたる北区・左京区は、古寺名刹の宝庫でもあります。市の中心部の観光寺に比べ派手さ、賑やかさはありませんが、歴史があり、深い落ち着きと存在感にあふれた、侘び寂を十分堪能できる素敵なお寺が多くあります。
北・東エリアの寺①悟りの窓・迷いの窓【源光庵】
北区の鷹峯にある曹洞宗鷹峰山寶樹林【源光庵】。貞和2年(1346年)、南北朝時代の大徳寺の禅僧徹翁義亨による創建の寺院です。
源光庵という寺名は知らなくても、「迷いの窓」「悟りの窓」の画像を見れば、「あ、これ見たことある!」という方はかなり多いのではないでしょうか。
また、このお寺でもう一つ有名なのは伏見桃山城から移築された鳥居元忠の自刃跡の血天井ですね。ただ、伏見城の血天井は京都市内のいくつかのお寺に、供養のため分けられていますので、このお寺だけの大きな特徴というわけではありませんが・・・。
さて、このアングルの画像は、訪れた方なら必ずと言っていいほど撮影しますね。(笑)
右が「迷いの窓」で、四角い窓の意味は、人の一生の「生老病死」の四つの苦を、そして左の「悟りの窓」は、「ありのままの自然の姿」「偏見のない姿」「悟りの境地」を表しており、円形は大宇宙を表現しているそうです。
撮影時は青葉の季節でしたが、紅葉の頃になると、この悟りの窓・迷いの窓の向こうに真っ赤なもみじが顔を見せてくれます。
ただ残念なことに、庫裏の改修工事のため、2019年6月から2021年の秋頃まで休館することが発表されていますので、再開後に是非足をお運びください。
源光庵のアクセス・詳細情報
北・東エリアの寺②足利氏の菩提寺【等持院】
お次は北区の萬年山【等持院】。臨済宗天龍寺派の寺院です。暦応4年(1341年)足利尊氏が建立したとされ、足利氏の菩提寺、尊氏公の墓所でもあります。
ちょうどこの近辺には有名な寺院が混在していて、嵐電(京福電鉄)の駅が、西から御室仁和寺、妙心寺、龍安寺、等持院と続き、そしてその四つの寺院が菱形を描くように置かれています。
また、このお寺の北東1.5km離れたところには、足利義満ゆかりの金閣寺(鹿苑寺)が、まるでその存在感を誇示するかのように佇んでいて、その金閣寺から南西を通り、この等持院の北側・立命館大学の衣笠キャンパス前、龍安寺、仁和寺へと続く道路は、「きぬかけの道」と呼ばれる観光道路で、衣笠周辺のお寺を回るための重要なルートになっています。
さて、等持院の中へ。
最初の見どころはやはり客殿ですね。ここでは抹茶を注文して一服することができます。
やはり畳が一番。座ってお茶をいただき、初夏にはツツジやサツキを眺めながらのんびりされるのもよいでしょう。
客殿の広縁からは庭園が望めます。
天龍寺庭園の作庭でも知られる夢窓国師の作で、池の周りを鑑賞できることから「池泉廻遊式庭園」と呼ばれる形式です。
まるで異空間のような閑静な佇まいですね。
前述のとおり、この等持院は足利氏の菩提寺ということで、霊光殿には、歴代足利将軍15代のうちの13体の将軍像と、徳川家康の木像が安置されています。
足利氏が創建し、菩提寺とした等持院。
京都の歴史に大きく関わった足利氏の存在を今も伝え続けるこの寺院は、京都にとって、そして日本の歴史にとっても意味があるお寺です。
その静かで落ち着いた雰囲気の佇まいは、まさに京都ファン中級者向きと言えるでしょう。
等持院のアクセス・詳細情報
北・東エリアの寺③女性の心を癒す寺【三千院門跡】
京都市内からバスで約1時間。周囲は山林の緑とゆったり流れる川、そして点在する古民家・・・。
続いては、そんな人里離れた左京区大原にある【三千院門跡】をご紹介しましょう。
延暦年間(782年–806年)に、比叡山の最澄が僧房「円融房」として建立したことが起源とされる門跡寺院です。
大原のバス停を降り、大原名物「しば漬け」に使われる赤しそ畑を観ながら、小物雑貨屋や漬物屋が軒を連ねるだらだら坂の参道を上って行きます。
坂の右手には小川。夏の間はせせらぎを聴いているだけで涼しい気分になります。
ちなみに、この小川は呂川(りょせん)といいます。もうひとつ三千院を挟むように流れている律川(りつせん)という川があり、この二つの川は「呂律(ろれつ)が回らない」の語源となった、仏教の声明の呂・律という旋法(発声法)から名付けられました。
そして坂を上りきると、そこが三千院の門前です。
ところで、京都・大原・三千院と言えばデューク・エイセスの名曲「女ひとり」の歌詞のにもあるように「傷心の女性が訪れるところ」というイメージがありますが、これは大原にある「乙が森」にまつわる「おつう伝説」という傷心女性の物語が関係していると思われます。
尤も、その伝説のイメージだけで、傷心の女性たちが訪れるわけではないと思います。
男女問わず、心が深く傷ついた時、誰しも人との接触を避け静かな場所で、一人物思いに耽りたくなることがあります。
ここ大原には喧騒を離れひっそりと佇む寺々、自然をそのまま残したような庭園もあり、まさに心を癒すのにとても適したスポットなのではないでしょうか?
さて、三千院の中へ。
まずは客殿の縁側から聚碧園を観賞。青葉が目映いです。
続いて、宸殿から有清園を通り、「往生極楽院」へ。
この往生極楽院は、三千院(大原政所)が比叡山から移転する前からこの地にあり、三千院が来てからは周りを囲まれてしまった形になりました。
大きな阿弥陀如来像は国宝です。
そして、ここからは可愛い「わらべ地蔵」さんの登場です。
まるで苔の庭からぴょこんと出てきたような小さな石のお地蔵さんですが、皆それぞれ違う表情、違うポーズをしていて、思わず微笑んでしまいます。
きっとこのわらべ地蔵さんも、女性の心を和ませてくれるのでしょうね。
二人(体)仲良く肩を並べているお地蔵さん。
また、考え事をしていて、うっかり居眠りしてしまったようなお地蔵さんもいます。どれも微笑ましい姿ですね。
そして「あじさい苑」。
毎年6月~7月にかけてあじさい祭りが開催されます。色や形様々な約3000株の紫陽花が観る者の心を和ませてくれます。
そんな紫陽花も「諸行無常」。この世に永遠の命などない。芽を出し、蕾が開き、そして綺麗な花を咲かせ、やがて枯れて行く。花も人も皆変化して行く。そして、変化しながら一生を全うする。
そんな道理を誰もが心の奥底で理解しているからこそ、人は儚いものへの愛着、一瞬の美、自分の命を燃やして一生懸命生きるものたちへの強い憧れ、共感があるのでしょう。
そう考えると、大原を訪ねて来る女性たちにとって、桜、紫陽花、そして紅葉と、まさに儚い美しさを観ることのできるこの三千院は、やはり心を癒してくれるスポットなのかもしれませんね。
豊かな緑とせせらぎの里・大原三千院、是非一度訪ねてみてください。
三千院門跡のアクセス・詳細情報
北・東エリアの寺④義経ゆかりのパワースポット【鞍馬寺】
左京区の鞍馬山にある鞍馬弘教総本山【鞍馬寺】。鞍馬の天狗とそれに師事した義経(牛若丸)が修行したことで有名なお寺です。
奈良時代末期の宝亀元年(770年)、唐招提寺の鑑真和上の高弟・鑑禎上人が、夢のお告げと白馬の導きで鞍馬山に登山、鬼女に襲われたところを毘沙門天に助けられ、その毘沙門天を祀る草庵を結んだことが創建の起源です。
このお寺は584mの鞍馬山の上にあり、仁王門を入るとすぐにケーブルカーがあるのですが、鞍馬寺では「足の弱い方や年配の方が少しでも楽に参拝できるように敷設されたもので営利事業ではありません」として、健常者の方はできるだけ山を自力で登り、本堂までの様々なスポットや自然の景色を見てほしい、と訴えています。
この記事も、筆者が自力で(しかも真夏の気温39℃の日に(笑))登った時の記録でもあります。
仁王門横の長い坂を上っていくと、最初に圧倒されるのは由岐神社の御神木「大杉」。樹齢800年、高さ53mと言われています。見上げると首が痛くなるほどですね。
この辺りは深い杉木立の中で、神聖で荘厳な空気に包まれていて、まさにパワースポットという感じがします。
由岐神社は、天災地災、動乱などで世情不安となったことで、朱雀天皇の勅により、もともと御所にあった由岐大明神を天慶3年(940年)にこの地に遷し、京の北方鎮護としたことが起源です。本殿、拝殿共に国の重要文化財です。
また由岐神社は、京都では「鞍馬の火祭」(市無形文化財)が大変有名です。
この勇壮な鞍馬の火祭は毎年10月22日に行われます。
さて、中門をくぐると、鞍馬寺へはここからが試練の道です。(;^_^A
ご覧いただいたような石段を、ただひたすら登り続けなくてはなりません。
段数で言えば、伏見稲荷神社ほどではありませんが、先ほどご説明した通りこの日は気温39℃。大量の汗と疲労で次第に体力が奪われていきます。
義経が修行していた当時は、一体どうやって登っていたのでしょうか?
ふう~! ようやくたどり着きました。
ここが鞍馬寺本堂の金堂です。
登り終えると、言葉に言い表せない感情が湧いてきます。
ハードな思いをして上って来た甲斐があります。この清々しい気持ちとホッとする瞬間のやすらぎを、是非皆さんにも味わっていただきたいですね。
そしてこれが噂のパワースポット「金剛床」。
さすがにこの日は暑すぎたせいもあって、参拝客の姿もまばら。お陰でゆっくりと金剛床の中央で、「大宇宙のパワー」をたっぷりといただくことができました。
皆さんも是非、体調を整えて鞍馬寺参拝に挑戦してみてください。ただ、くれぐれも足腰に不安のある方は無理なさらず、ケーブルカーをご利用ください。
鞍馬寺のアクセス・詳細情報
北・東エリアの寺⑤テーブルもみじが大人気【瑠璃光院】
もしも極楽浄土というものが見えるとしたら、きっとこんな世界ではないだろうか、と思うほどの美しい景色を見せてくれるのが、左京区にある【瑠璃光院】です。
既にご存知の方も多いと思いますが、このお寺の一番の特徴は何といっても「テーブルもみじ」。庭先の紅葉が座敷に置いたテーブルに映り、逆さ富士ならぬ逆さ紅葉を描いて、幻想的な美しさを見せてくれるのです。
京都バス八瀬駅前停留所を下車し、高野川の流れを観ながらトボトボ歩くと、ものすごい数の人々がテント前の列に並んでいます。
この人混みはまさしく、瑠璃光院・秋の特別拝観に来られた人々です。
ちなみに筆者は平日の午前9時半頃に到着したのですが、当初「10時30分入場」と書かれた案内板が、見る見るうちに何度も更新され、結局「11時40分入場」になりました。
仕方なく、周辺をぶらぶらしたり、コンビニで珈琲を飲んだりしながら時間をつぶし、11時30分頃に入山者の集合場所に戻りました。
1回の入場者数は(100名ぐらい?)制限されており、10分置きに次のグループが出発するシステムになっていて、係の女性に先導されてぞろぞろ歩いていきます。
集合場所から3~4分程度で到着です。しかし、10分ごと入山の割には山門から出てくる人が後を絶たず、無人の山門を撮影しようにも、なかなかうまくいきません。おまけに出てくる人がそこで記念撮影をし始めたり・・・。(苦笑)
取り合えず山門の撮影は後回しにして、お寺の中へ・・・。
今回の特別拝観では、山門でお寺のパンフレットと写経用紙、ボールペンを頂きました。
山門前の景色からしてすでに見事な紅葉です。
境内の池では錦鯉が優雅に泳いでいます。
そこかしこに見える綺麗に色づいた景色に感嘆の声をあげながら、参道を上っていくと、いよいよ本堂が見えてきます。
どうですか? 玄関前の紅葉も見事でしょう?
そして・・・! お待たせしました! 「テーブルもみじ」の登場です。
よく「紅葉」「黄葉」と文字で書きますが、そんな単純に表現できる色でないことはご覧の通りです。「ピンクがかった赤」「淡い紫」「紫色に近い赤」・・・グラデーションは無数にあり、人間の技では追い付かない、まさに「自然の創造したアート」です。
筆者は、この風景が観られる日をずっと待ちわびていました。
ちなみに、青葉の頃はこのような景色になります。
この瑠璃光院で撮影するテーブルもみじの写真は、現代のカメラの性能を考えれば「一生残る思い出の一枚」です。そんな画像をカメラに収めたいという方々が沢山来られています。撮影はテーブル際で自由にできますが、沢山の方が場所が空くのを待っておられますので、撮影後は速やかに次の方に場所を譲ってあげてくださいね。
この日、写経スペースでは、写経をされる方も結構多くいらっしゃいました。
堂内を歩くと、モミジたちが「テーブルもみじだけが紅葉じゃないよ」と言わんばかりに、どの窓からも綺麗に色づいた表情を見せてくれます。
また、2階~1階、さらに向いている窓の方角によって、それぞれ紅葉の色合い・濃淡が違うのも面白いものです。
そして、瑠璃光院には「テーブルもみじ」だけでなく、1階には「廊下もみじ」もあるんです。ピカピカの廊下に映る綺麗な紅葉です。
瑠璃光院の特別拝観は毎年、春は4月中旬~6月下旬、秋は10月初旬~12月中旬です。大変混み合い、待ち時間もありますが、辛抱して待っただけの甲斐のある素敵なお寺です。
是非一度ご参拝ください。
瑠璃光院のアクセス・詳細情報
北・東エリアの寺⑥石川丈山の見事な庭園【詩仙堂】
左京区の一乗寺下り松バス停を降り、住宅街の間の坂を上っていくと、竹塀の門が見えてきます。そこが六六山詩仙堂丈山寺凹凸窠、通称【詩仙堂】です。
徳川家の家臣石川丈山が寛永18年(1641年)、自らの隠居のため造営した山荘です。庭園も丈山が自ら設計したものです。
アプローチも落ち着きがありますね。
ここが中門です。さあ、中に入ってみましょう。
どうです? 丈山プロデュースの庭園、見事ですよね。
方丈から何時間でもずっと眺めていたくなります。
この詩仙堂、新緑の5月と秋の紅葉の時期は特に拝観客数が多くなるんです。
ちなみに秋にはこうなります。凄すぎです!
この詩仙堂は、かつて英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃が訪れたことでも有名です。ダイアナ妃はこうした景色をご覧になり、どう感じられたでしょうか? きっと心穏やかなひとときを過ごされたのではないでしょうか。
庭園にある鈴鹿野風呂の句碑「さにづらふ 紅葉の雨の 詩仙堂」。
頬を染めた乙女のような紅葉が舞う詩仙堂、とでも訳しましょうか。綺羅錦秋の庭園の景色が目に浮かぶようです。
紅葉の話をしてしまったので、是非秋に行きたいと思われた方も多いかと思いますが、青葉の季節も大変趣がありますよ。
是非、そんな時期にも訪ねてみてください。
詩仙堂のアクセス・詳細情報
北・東エリアの寺⑦家康の開いた学校【圓光寺】
先の詩仙堂の2~300m北側にあるのが、瑞巌山(ずいがんさん)【圓光寺】。臨済宗南禅寺派の寺院です。
また、詩仙堂の石川丈山が徳川家家臣だったのに対し、こちらの圓光寺は徳川家康が慶長6年(1601年)に創建したということで、この二つのお寺に何か徳川家のご縁のようなものを感じます。
この圓光寺は元々は家康が「国内教学」の発展のため学問所として建立したもので、僧も一般人も分け隔てなく学べるところでした。現在でも当時の数々の書籍が残っているそうです。
それにしても、こんなに閑静で景色の良い学校なら、のびのびと学習できそうですね。
本堂にある襖絵「琳派彩還 四季草花図」。渡辺章雄画伯の作です。
広々とした広縁のある書院。気持ちがいい程すっきりとしています。
そして書院から眺める庭園は「十牛之庭(じゅうぎゅうのにわ)」と呼ばれ、春夏は青葉、秋は紅葉の名所として親しまれています。
以前は夜間ライトアップが行われていましたが、近年は休止しており、紅葉の時期のみ朝7時30分から約1時間の早朝拝観を行っています。(要予約)
その十牛の庭の紅葉がこちらの画像です。こちらもまた見事ですね。
庭園には水琴窟。耳を澄ますと透き通るような綺麗な音色が聴こえてきます。
「奔龍庭(ほんりゅうてい)」。雲の上を優雅に泳ぐ龍をイメージした枯山水庭園です。
そしてその向こう側には、京都の街が広がります。
のどかな一条寺界隈の佇まいと、春夏秋冬問わず美しい風景を楽しめる圓光寺。是非一度ご覧ください。
圓光寺のアクセス・詳細情報
◆『京都の寺』おすすめ15選!~中央・西・南エリア編
さて、ここからは右京区、西京区を中心とした中央・西・南エリアのお寺をご紹介します。こちらのエリアも歴史の深み、落ち着きがありますが、よりユニークなお寺、眺望の良いお寺などが多いですね。
では、早速ご紹介しましょう。
中央・西・南エリアの寺①平安天下人の「贅」を垣間見る【神泉苑】
平安遷都の頃に、平安宮の大内裏の南(現在の二条城あたり)に、天皇のプライベートガーデンがありました。法成就池を中心とした広い庭園で、二条通から三条通までの長さといいますから、相当な広さですね。
かつて京都の地は「山城湖」という巨大な湖だったそうで、その名残で平安京の真ん中に大きな池があり、その池の周りに庭園を造り、天皇一族が遊興の場としていたのです。
そして、現在その場所にあるのが、この東寺真言宗【神泉苑】です。
京都で重要な道路である「御池通り」の御池とはこの法成就池のことです。また、京都の代表的な祭り「祇園祭」も、ここ神泉苑で鉾を立てて疫病を鎮める祈願をしたことが起源とされています。
延暦19年(800年)に桓武天皇が行幸し、延暦21年(802年)には雅宴が催されたとの記録もあることから、神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場でもあったようです。また、『日本後記』には、嵯峨天皇が弘仁3年(812年)に神泉苑にて「花宴の節(せち)」を催したとあり、これが現在で言う「花見」の始まりと考えられているそうです。
当時の天皇たちは、池に舟を浮かべ、優雅に四季折々の花や木々を愛でていたのでしょう。まさに「贅の限りを尽くした天下人」というイメージです。
そんな世の名残でしょうか、初夏には色とりどりのツツジが優雅に咲き誇ります。
法成就池には昔から龍神(善女竜王)が住むと言われ、天長元年(824年)に東寺の空海が善女竜王を呼び、雨を降らせたことで西寺を破り、神泉苑は東寺の支配下に置かれたとのことです。これが東寺真言宗の寺としての起源です。
そしてもうひとつ、実はこのお寺、パワースポットとして有名なのだそうです。
この「法成橋」という赤い橋を、一つだけ願い事を唱えながら渡ると、願いが叶うという言い伝えがあります。
叶えてほしい願いがある方は、是非お試しください。
神泉苑のアクセス・詳細情報
中央・西・南エリアの寺②広大な山の修験道場【神護寺】
さて、次にご紹介する【神護寺】は、今回の特集の中でも鞍馬寺に次ぐほどの難所です。
正式名称を高雄山神護国祚真言寺という、天長元年(824年)に和気清麻呂によって建てられたお寺です。
このお寺にたどり着くには、右京区「高雄」のバス停を降り、谷を一旦下り、そこから長い石段をひたすら登らなくてはなりません。
ここがそのスタートです。
急傾斜の坂を下りていくと、紅葉に包まれた谷合に流れる清滝川が見えてきます。なかなか風情がありますよね。
その清滝川の橋を渡ると・・・
参道の石段のお目見えです。
さあ、登るぞ~! と意気込んではみますが、最初のうちはいいんです。でも、ずっと登り続けると脚に乳酸が溜まってきます。(笑)
この長い石段には踊り場がほとんどないので、疲れた時は適当なところで立ち止まって休憩するしかありません。
そうこうしていると、石段の上に紅葉が・・・! ってことはもうそろそろゴールに到着でしょうか?
いえいえ、まだまだです。・・・さすがに、座りた~い! お茶飲みた~い! という気分になります。
それでも、こんな綺麗な紅葉を目にしたら癒されますよね。
EXILEの♬CHOO CHOO TRAINのダンスでもしているかのような狸の置物にも思わず笑ってしまいましたし・・・。(´▽`*)
本当にのどかで、綺麗なところです。
ここが厳しい修行で知られる真言密教のメッカであり、最澄、空海という仏教界の二大スーパースターにゆかりのある厳かな史跡であることなど、すっかり忘れてしまいそうです。
そして、またさらに長い石段をゆっくりと上っていくと・・・約400年前に建てられた神護寺の楼門が漸く見えてきましたよ。
さあ、あともう少しで到着です!
楼門をくぐると、思いの外広々とした境内が目の前に広がります。
和気清麻呂公の霊廟や
明王堂が見えてきます。
しかし、本堂(金堂)はまたさらに石段の上に・・・。(苦笑)
御仏様への道がかくも険しいとは・・・。
ところで、皆さんはちょうどこの石段あたりの景色に見憶えはないでしょうか? 実はこの近辺は、数々のドラマの撮影場所として使われたところなんです。京都が舞台のドラマをご覧になるときは、注意して観てくださいね。
そして、石段を一気に登り金堂の前に到着! ここが本堂の金堂です。
金堂内部は撮影禁止なのでご紹介できませんが、国宝のご本尊薬師如来立像が安置されています。また、御朱印やお守りをいただく方は、このお堂の中に授与所がありますので、是非お参りください。
金堂まで上がると、五大堂と毘沙門堂が小さく見えます。
さて、金堂から坂を下りて地蔵院の方に回ると、こんなダイナミックな絶景が観られます。
先ほどの石段の下を0(ゼロ)ポイントとすると、かなりの高さまで石段を上って来たことがわかりますね。
そして、ここでは「かわらけ投げ」ができるんです。
「かわらけ」(上の画像)とは盃の形をした素焼きの土器のことで、かわらけ投げはフリスビーの要領でそのかわらけを投げ、より遠くへ飛ばした方が勝ち、という遊びです。
そしてそのかわらけ投げの発祥地が、実はここ神護寺なのです。
特に願掛けや運だめしなどの意味合いはありませんが、そこは密教の寺。何か奇跡が起こるかもしれません。
さて、紅葉の時期もそろそろ終わる12月の午後。ぽかぽかとした陽射しに照らされた紅葉を観ながら、何か心の中まで温まったような、そんな気がしました。
紅葉の名所として知られる高雄山の神護寺は、その山岳と谷合を多くの密教徒たちが駆け巡った神秘の寺院です。是非一度登られ、その神聖な空気を感じてみてはいかがでしょうか。
神護寺のアクセス・詳細情報
中央・西・南エリアの寺③無縁仏の浄土【化野念仏寺】
さて、次のお寺は【化野念仏寺】。
五山送り火の鳥居形でお馴染みの右京区は嵯峨野鳥居本の化野にひっそりと構える浄土宗のお寺で、弘仁2年(811年)に空海がこの地に野ざらしになっていた遺骨を埋葬したことが始まりとされています。
筆者が訪れたのは、京都の夏の風物詩「五山送り火」の翌日のこと。
「送り火が終われば夏も終わり」とはよく言われますが、まだまだ京都は残暑が厳しい頃です。
それでも参道には目映い程の青葉が茂り、穏やかで清涼感のある景色を見せてくれます。
平安時代には、この化野一帯は風葬地でした。
亡くなった際、高貴な身分の人は火葬され手厚く葬られる場合もあったようですが、殆どの庶民はその地に亡骸を置かれ、風葬・鳥葬されていました。
空海はそうして骨となった夥しい数の仏を埋葬し、石仏と仏塔を立てました。
この化野念仏寺には、8000体とも言われる石仏が祀られています。
毎年、地蔵盆には石仏の「千灯供養」が行われます。
西院(さい)の河原の闇夜に浮かぶ一体一体の蝋燭の灯りの様子は、2時間ドラマ「赤い霊柩車」のオープニング、片平なぎささんが登場するシーンでよく使われることで有名です。
こちらが千灯供養の様子です。
化野の「あだし」とは、「儚い」、「虚しい」の意味で、「化」は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る、極楽浄土に往来する願いなどを意味するのだそうです。
西院の河原で仏様に手を合わせながら、いつか天に召された時、お釈迦様に「よく頑張りましたね」と祝福される人生を歩きたいと、ふとそんなことを考えた一日でした。
化野念仏寺のアクセス・詳細情報
中央・西・南エリアの寺④名曲「嵯峨野さやさや」で知られる【直指庵】
「♬京都嵯峨野の直指庵~」という70年代にヒットしたタンポポの「嵯峨野さやさや」の歌詞で一躍全国的に有名になった寺院、浄土宗祥鳳山【直指庵(じきしあん)】。
嵐山から北嵯峨の大覚寺を通り過ぎ、さらに北へ進むと人家も少なくなり、農村の風景が広がって来ます。正直、歩いて行くのは少々覚悟が要ります。できれば、大覚寺まではバスのご利用をお勧めします。
前出の「嵯峨野さやさや」の歌詞に登場するこの直指庵や祇王寺のように、嵯峨野にはひっそりと佇む寺院がよく見られます。そこに共通しているのは、竹林、苔、そして女性です。
正保3年(1646年)にこの直指庵を創建したのは独照性円禅師ですが、幕末に再興したのは近衛家の津崎村岡局(つざきむらおかのつぼね)という女性でしたし、祇王寺も芸者から尼僧となった智照尼がいたように、傷心の女性の拠り所・受け皿となっていました。
そのために、この直指庵はよく尼寺と勘違いされるようで、公式サイトでは「直指庵は尼寺ではありません」ときっぱり否定しています。
確かに「嵯峨野さやさや」の曲調・歌詞や祇王寺と似た女性向きのお寺のイメージ、参拝者が悩みなどを書き込みできる「想い出草」ノートがあったりと、尼寺的な印象は強くありますが、元来は、禅寺であり男子禁制の戒律もありません。
本堂の中は撮影禁止でしたが、山の中に佇む「禅庵」といった趣きで、風になびく葉音や鳥のさえずりを聴きながら、「沈思黙考」したり、「無」になったりするには、最適な場所ではないかと思います。
ちなみに庭は撮影してもよいとのお許しをいただきました。
庭の景色も落ち着いています。紅葉の時期はさぞ素晴らしい色になっていることでしょう。
本堂を出て境内を歩いていると、「愛逢い地蔵」さんが仲睦まじく並んでいるのを見つけました。
ついつい微笑んでしまいますね。
直指庵は、さり気なくぬくもりのあるお寺です。
人は時として挫折や失意を味わい、立ち止まり、生き方に迷うこともあります。そんな時、「今のままの貴方でいいんですよ。悲しみはここに置いて行きなさい。貴方が生きていること、そのことが素晴らしいことなんです」と優しく包むように語りかけ、明日への希望を思い起こす力を与えてくれる、そんな寺院です。
直指庵のアクセス・詳細情報
中央・西・南エリアの寺⑤紅葉に彩られる二大如来【二尊院】
嵯峨野からもう一つご紹介しましょう。天台宗の寺院【二尊院】です。
このお寺には「釈迦如来」と「阿弥陀如来」の二体のご本尊が安置されており、そこから二尊院と名付けられたそうです。
承和年間(834–847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝えられています。
さて、総門を入ると、まっすぐに伸びた長い参道があります。二尊院はその突き当りの向こう側なのですが、この参道は実は「紅葉の馬場」と呼ばれ、秋には多くの参拝客でにぎわう名所となっているのです。
その紅葉の様子がこちらです。
綺麗な景色ですね。
ここが二尊院の勅使門なのですが、このあたりも秋には・・・
こんな景色になります。(境内からのアングル)
嵯峨野の小倉山周辺は、「百人一首」や「小倉あん」の発祥地としても知られています。
嵐山の繫華街から10~15分ほど歩いただけなのに、あの喧騒が嘘のように、本当にのどかなところです。
筆者も時折嵯峨野を散策しますが、何故かいつも二尊院の総門前に行き着きます。
きっと無意識のうちに、景色の良いところへ、のどかで心が落ち着くところへと自然に足が向いてしまうのでしょうね。
そんな嵯峨野の小倉山、あなたも是非訪ねてみてください。
二尊院のアクセス・詳細情報
中央・西・南エリアの寺⑥風雪に耐え断崖に立つ【大悲閣千光寺】
京都・嵐山には、特にメジャーではありませんが知る人ぞ知る古刹【大悲閣千光寺】があります。
お寺の起源については不明ですが、古くは嵯峨清涼寺の近くにあった後嵯峨天皇の祈願所で長い間廃れてしまっていたものを、江戸時代初期、角倉了以が現在の所に移築したのが始まりとされています。
しかし、このお寺に辿り着くまでには、少しの時間と労力が必要となります。
渡月橋の西側(法輪寺側)を、右手に大堰川を見ながら山沿いに北へ歩くこと約1km。川面を走る屋形船や手漕ぎボートの数もだんだんまばらになり、川端にはごつごつとした大きな岩が多く見られるようになります。
誰が描いたのか、途中こうした看板があります。近年、外国人観光客も多く訪れるようになったようです。
道は舗装されているものの、歩行者の数も減りどんどん寂しくなる辺りで、高級旅館「星のやリゾート」に突き当たります。その手前から、さらに10分ほど山の石段を上ります。
石段の途中、千光寺画と、
角倉了以肖像画・・・。角倉了以は嵐山の大堰川、木屋町の高瀬川を開削したことでも有名で、「京都水運の祖」と呼ばれています。
そして、松尾芭蕉の句碑「花の山 二町 のぼれば 大悲閣」 と大須賀乙字の句碑「嵐気動く 奥は蝉声 晴れてあり」があります。
さあ、山門が見えてきました。
千光寺までもう一息のところに鐘楼があります。無料で3回撞くことができますが、これがまた、とてもいい音がするんです。
綺麗に撞くコツは、力を入れすぎず、急がず、5秒ぐらいの間隔で撞くとしみじみとした音が鳴ります。
さあ、到着です。お疲れさまでした。
さすがに、山を登ってきたので、空気もおいしく、気持ちも清々しくなります。
ところで、どのぐらい登ってきたかお解りでしょうか?
対岸の小倉山にある大河内山荘から見える千光寺はこんな感じです。
それでもまだ中腹と言えば中腹なのですが、分かりにくいと思いますので、拡大するとこんな感じです。
山の木の上にちょこんと乗ったような建ち方で、少し怖い気もしますが、つい10年ほど前に修復補強工事を行っていますので安心してください。
境内は静かで、勿論緑も多く、心が自然と落ち着きます。
上の画像は紅葉の時期に撮影したものですが、とても綺麗ですよね。
ここが本堂です。ここに千手観音菩薩と角倉了以像が祀られています。
昭和34年の伊勢湾台風で壊滅的被害を受け、昭和53年に本堂は解体しました。その後は仮本堂で、2012年には大悲閣の大規模改修工事が行われて現在に至ります。
まさに、満身創痍のお寺ですが、衆生を救うために風雪に耐え、今も断崖に立ち続けています。
大悲閣からは、嵐山と小倉山の絶景が観られます。紅葉の景色もまさに見事です。
筆者が最初にこのお寺の存在を知ったのは、北森鴻の小説『裏京都(マイナー京都)ミステリー』シリーズでした。主人公がこの千光寺の寺男という設定で、ところどころにこのお寺も舞台として描写されました。大悲閣の中には本棚があり、さり気なく北森氏のその小説が置かれていましたが、今は亡き氏もきっと喜んでいることでしょう。
冒頭に「知る人ぞ知る」と書きましたが、筆者個人的には、できればこのまま密かに佇んでいてほしいという想いと、もっと沢山の方々が参拝に訪れ、多くの浄財が集まり、お寺が発展してくれたら、という二つの想いがあり複雑ですが、とにかく、京都には誰もが集まる有名なお寺ばかりではなく、雨の日も風の日も衆生を救うために断崖に佇む、こんなお寺もあることを是非知っておいていただきたいと思います。
大悲閣千光寺のアクセス・詳細情報
中央・西・南エリアの寺⑦十三まいりの福徳【虚空蔵法輪寺】
嵐山にある【虚空蔵法輪寺】です。
和銅6年(713年)、歴史的名僧・行基が葛井寺(かづのいでら)として建立し、その後、天長6年(829年)に道昌が虚空蔵菩薩像を安置し、貞観10年(868年)に法輪寺と改称したことが起源です。
京都では、「十三まいり」と言って、数え年で13歳になる子供の智恵と福徳を祈ってお参りをする慣わしがあって、その中で一番有名なお寺がこの『虚空蔵法輪寺』なのです。
筆者の愚息はまだまだ先の話ですが、ご縁を結んでおくのもよいかなと思い、お参りさせていただいたものです。
十三まいりでは、智慧と福徳を授かるという言い伝えの他に、芸事の上達にもご利益があるそうです。
ちなみにこのお寺のご本尊・虚空蔵菩薩は丑年・寅年生まれの守り本尊です。
境内にある見晴台です。
ここからは、嵐山一帯がパノラマで眺めることができます。
ね? 渡月橋もよく見えますでしょう?
そう言えば、十三まいりの後に渡月橋を渡る時、その子供は後ろ(法輪寺方面)を振り向いてはならないという言い伝えがあります。せっかく虚空蔵菩薩からいただいた智恵・福徳が、本堂に返ってしまうのだそうです。
嵐山は毎日のように多くの観光客を吞み込み、そして大変な賑わいを見せています。しかし、その嵐山の繁華街から目と鼻の先に、こんなにものどかなお寺があることをご存じない方も多いと思います。
嵐山で存分に観光を楽しまれた後は、虚空蔵法輪寺をのんびり散策してみるのもよいかもしれませんね。
さて、お帰りは是非裏門方面に向かって帰りましょう。庭園の景色も綺麗ですし、裏門からは渡月橋の近くに出ることができますよ。
虚空蔵法輪寺のアクセス・詳細情報
中央・西・南エリアの寺⑧幸福地蔵と爆笑説法【鈴虫寺】
京都のお寺でひときわ異彩を放つのがここ『鈴虫寺』(正式名・妙徳山華厳寺)。俗称「行列のできる寺」。何故行列ができるのかというと、トレードマークの「幸福地蔵」「鈴虫」は勿論、お馴染み「鈴虫説法(爆笑説法)」でおなじみのお寺でもあるからです。
京都バス「鈴虫寺・苔寺」のバス停を降り、道路際の横道にはいって歩いていくと、急な石段のまえに長い長い行列ができています。行列の先は石段の上の山門まで続きます。
結構段数があるのですが、ここに行列ができ、多い時はバス停付近まで列が続きます。
さて、初めての方は、山門の外にあるこの地蔵尊像の正体を知らないままただ合掌するだけなのですが、実はこの地蔵こそが何でも願いを叶えることで有名な「幸福地蔵」です。
説法の中でも説明がありますが、黄色い幸福地蔵のお守りを手のひらの上部に置き合掌し、地蔵菩薩に「住所、氏名、願い事」を具体的に告げると、夜な夜な各家庭を訪れ願いを叶えてくれるそうです。幸福地蔵はそのために「草鞋」を履いています。
鈴虫寺では、1回の説法につき100人以上の参拝客が鈴虫のケースが並べられた大きな座敷に通され、説法を聴くことになりますが、その説法の内容の面白さ、話術が大変人気で、中には何度も通うリピーターも多いようです。ちなみに説法される僧は数人おられ、それぞれの回ごとにローテーションで行われています。
説法でほのぼのした後は、境内の庭園を順路に従い拝観しながら帰ることになります。
鈴虫寺では、鈴虫の一生になぞらえ「今を一生懸命生きる」ことの大切さを教えてくださいます。そしてその一生懸命生きてきた人を幸福地蔵が応援し、願いを叶えてくれます。
是非一度お参りを・・・。
鈴虫寺のアクセス・詳細情報
京都のお寺巡りの楽しい旅を
いかがでしたでしょうか?
定番コースのお寺に比べて派手さ、賑やかさはないものの、今回ご紹介したお寺には、歴史の深さ・存在感というものが感じられたのではないでしょうか。
京都中心部で人気の寺院は平安の都の時代から、多くの参拝客を受け入れてきたことで、伝統的に参拝者獲得のノウハウがあります。
しかし、中心部から離れたところにあるこうした寺々は、地道に修行道場の道を選び、日々教学の修養に励む一方、「来る者は拒まず」で一歩一歩地域に根ざすことに努めてきたのだと思います。
そんな素朴で地味でもある寺々が、「我が寺の強み」を着実に発展させ、歴史を積み重ねてきたことが、現代の大きな魅力という遺産になっているのではないでしょうか。
そんな魅力あふれる京都のお寺を、皆さんも是非訪れてみてください。
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